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祷ってゐた



誰かをただただ想い
捧げること全てが無駄なら
ひとつでも無駄なら
地球には唯の1曲も生まれず、聞こえてはこなかった
昨日も明日も。

Remain

切腹に於いて罪人の"首の皮を一枚残す"のは、介錯人の儀礼であり通例であった。
それは儒教の五倫五常に拠るところであるが、もしくは父母と子の間にあるという考え思想が、霊魂はもとより死体にまで及ぶという凡例でもある。


原子力発電に対する今昔の政府・当事者の意識や対応を見れば、私の原発に対する思いはもちろん否定的である。それは今や国民の総意だと言ってもよいかもしれない。しかしだからと言って原発を「反対」とは今でも叫べない。放出された放射線が「危険」だからどぅと今でも叫びたくない。それは原子力発電によってその恩恵を享受してきたという身の恥を思う理由ではない。そんな己の理由ではない。

"今も懸命に命がかけられている"

それが残っているのである。
あえて言葉の意味を使い誤るなら、私の原発に対する思いは"首の皮一枚"である。そうでなければ、私はあの首の皮を切り落とす事に躊躇いは無かっただろう。


であるからこの記事は、敢えても私が書くことすら誤っているのだが_

マケズ

先日18日、NHKが釜石沖の漁場調査のようすを映していた。
1ヶ月前まで多数の漂流物で覆われていた沖合1㎞の地点で行われた"はえなわ"による調査漁_しかし、その収量は150匹と例年と大差ない良好なものであった。心配された海底の瓦礫も殆ど見られなかった。撮影された映像に、首だけ差し出し集まる漁師の男達の顔といったらなかったし、その目は間違いなく自分や家族のアシタを見つけていた。私の義父は左官工、兼漁師であるが、あの屈託のない笑顔で酒を注がれるとどんな時も、何度でも逆らえないのであるが_ソウイウモノニ ワタシもナリタイ

敬天愛人

橋下府知事の「式典での国旗掲揚の問題」に対しての声を数日追った_
今朝も少し違うところを追ったが(苦笑

それは権利と義務の抗争であったように思うが、やはりタダ乗り出来る権利を主張する者は何故か必ず義務を嫌い、亡きモノとする。そして国家への従属を危険だとしながら、国法に寝そべる。

"不起立の教員"
らは何かに気付かないのではなく、態と起立していないのだから、そんな反逆者に対して儀礼を成文法で単に義務化したところで意味はないし、例え立派に叫んでも法の穴から出てきやしないのである。
橋下府知事の言うように罰則を規定しないと彼らの排斥は永久に出来っこない。しかし、問題はイカレている事に勿論気が付かない彼らでは無い。彼らに教育される生徒がいると言うことが大問題なのであって、君らがかぶるグローバルなズラ(育毛剤含む)でも有り得ない事態となってしまった。

_と、書いてみたがこれでは唯の保守丸出しである。
いつものように理論も何も無い。
でもよく考えて欲しい。法は何を拠り所に作られたのかを

君たちが忌み嫌う
人の深部にある精神や、社会的な習俗などからではないのか。法が法から生まれた訳でもあるまい。

だからこそ人は人の教育は誤ってはならない。
法治国家とは先ずソコだろう_


勁草

震災から二ヶ月。既に、いや随分前から私の国のマスメディアは、原発と東電につらなる諸々の問題をどぅ売るか?で忙しいようです。まさしく商業ジャーナリズム_書きやすい種がそこに有るのでしょうが、論壇の罠がやはり仕組まれています。ですが確かにそれらも大きな問題ですから、今は一刻も早くその種が割れることを願うばかりです。
しかし、忘れてほしくないのは彼らがいまも書き出すその部屋は、雨が降っても寒くありません。風が吹いても寒くありません。日が陰ろうが寒くはないのです。書くことに最適な情報と環境で得られた事は_結果として何なのでしょうか?種を育てる気など更々ない筈です。


命のつかいみち」 blog"石巻こども避難所クラブ"より


管理人の方の行動の是非など、どうとでも捉えられます。勿論、それは貴方次第です。
私はタイトル通り捉えました。
七人の侍
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buhensha / 武辺舎

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