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日の常


震災より二ヶ月
日常に微笑んでいても、いまだに現実と向き合えない人が大勢います。
日常に強い言葉はあっても、心の底から向き合えない人が大勢います。
でも私は彼らの現実と正面で向き合うことが出来ます。
なぜなら非日常だと思う事が出来るからです。

だからこそ私達にしか出来ない事が山程あります。

義を貫くとは

「義は己を潔くする道にして、法は天下の規矩なり。礼を以て心を制し、義を以て事を制す。今四十六士(赤穂浪士)、其の主の為に仇を報ずるは、これ侍たる者の恥を知るなり。己を潔くする道にして其の事は義なりと云えども、其のに限る事なれば畢竟は私の論なり。其のゆえんのものは、もとこれ長矩(たくみのかみ)。殿中をはばからず其の罪に処せられしを、またぞろ吉良氏(こうずけのすけ)を以て仇と為し、公儀の免許もなきに騒動を企てる事、法に於いて許さざる所なり。今四十六士の罪を決せしめ、侍の礼(つまり侍の心)を以て切腹に処せらるるものならば、上杉家(上杉綱憲)の願も空しからずして、彼等が忠義を軽せざるの道理、最も公論と云ふべし。若し私論を以て公論を害せば、此れ以後天下の法は立つべからず」  徂徠


つまり義の糸のもとは国家の針の穴に通すものと説いている。
さて_日本を如何にする。民主党


荻生徂徠( おぎゅう そらい):江戸中期の儒学者、思想家、文献学者であり、また徳川五代将軍、綱吉の側近として幕政を主導した柳沢吉保、そして八代将軍、吉宗らの政治顧問として活躍。また後に「徂徠豆腐」と云う講談あり。

無悪善

詠めなくなると
人それぞれ、我は我なり、と得たような言葉をなげかけるが
この世は何事も善と悪に別れてゆく。

人の善き手本をおき去り
人それぞれ、我は我なり、と道に達は
さてさて何処にゆきつくのやら

人の善きに、それぞれで生まれし人が進むが世の得た一道であって
それぞれの定まらぬ道の先に善が待つものではない。
それぞれの先には善か悪か_なのだ。

詠めるか詠めぬか_私は詠んでみる。

時に触れる

阪神淡路大震災に私は直接関わっていない。
しかしいま思うのは、復興のふた文字で忘れられようとしている生き残った者の失われた年月のこと。
それは彼らにとって生涯、堪え忍ばなければならない年月、もはや誰もが触れることさえ叶わない喪失となった事を私達は肝に銘じなければならない。
時は流れゆくが、今はまだ触れる事が出来る_Touch

灯り

今は胸いっぱいすいこんで
大きくなる前に少しだけ息を止めて
後は力一杯、吐き続ける人になって下さい。
それが



それは人が描ける唯一の永遠です。
七人の侍
Personal

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"もののふの剱"を天と地に翳し、被災した仲間らと歩みとう存じまする。

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